感想文自由形。

自分で見たもの、聞いたもの、やったこと、あらゆる体験の感想文を自由気ままに綴っています。

日向に連れてきてくれたあなたへ

日向坂46のことを記事にするのはこれで4度目になる。

(本当は理央の呼び方の話よりこっちの記事を先に書いてた)

 

その記事はコチラ

 

日向坂のことが気になり始めたのは3年前。オードリーの番組がキッカケだった。

 

それからというもの「ハマるならトコトン」のオタク精神で今では完全に“おひさま”である。

 

この3年間を振り返ると、笑ったり、涙したり、癒しをもらったりと、喜怒哀楽の“怒”を除いた感情を最も満たしてくれた存在だった。


(たまに「あまりにも可愛すぎてムカつく」という現象が起きることもありますが笑)

 

人生を豊かにしてくれていると言っても過言ではないだろう。

 

だが、そこまで大切に想っているからこそ、時に苦しくなってしまうこともある。

 

今回は2025年8月4日に感じた抱えきれないほどの哀しみと、その気持ちの正体、そして誰からも愛されるひとりの愛すべき人への誓いを書いていきます。


まだ整理できていないこと

まず自分のことから書かせてもらうが、非常に涙脆い性格である。

 

アニメやドラマ、映画といった創作物、ライブでミュージシャンの生き様に触れる際に感動の涙を流すことが多いのだが、あまりにもすぐ泣くので「お前の“泣いた”は信用できない」と旧知の友から言われるほどには涙脆い。

 

当然のように日向坂にも何度も泣かされてきたが、そのほとんどが“卒業”にまつわることである。
(楽曲のメッセージと彼女たちの境遇があまりにも合致しすぎて泣くことも最近は増えたが)

 

好きになってからというもの、曲のリリースがあるたびに卒業していくメンバーがいるが、当初は「もっと早くから知って活躍を見たかったな」と少し残念に思うくらいだった。

 

だが2024年に4人同時に卒業が発表された時から、胸が締め付けられる思いを繰り返している。

 

「いつかは絶対に来るもの」
そうわかっているが、こればかりは慣れることはないのだろう。

 

ただ卒業することを知った瞬間は悲しみに暮れても、本人の想いを見聞きすることで前向きに捉えられ、最後のステージを見届ければ祝福の気持ちだけでいられると、繰り返していく中でわかってきてはいた。

 

しかし、一つだけは未だに気持ちの整理が追いついていない事例がある。

 

二期生 河田陽菜の卒業だ。


あなたが泣くから

日向坂に興味を持ち、最初に好きになった存在である彼女は私を最も泣かせているメンバーだ。

 

感情移入しやすい人間である私は、大切に想う人が泣いている姿を目にすると同調して泣いてしまうところがある。

 

そして、とにかく彼女は涙脆い。

 

先述したように日向坂は卒業ラッシュ…そのセレモニーがあるたびに彼女は泣いている。その姿を見て私も泣いている。

 

デビュー当時からよく泣いていたが、その時と今では涙の種類が大きく異なっていて、誰かのことを想って流す涙は優しく美しい。

 

“新生日向坂”として行われた代々木でのライブのエンディングでも彼女は泣いていた。

 

それを見て私も泣いていた。

 

私としては単に素晴らしいライブだったからというのが理由だが、彼女の涙はなんの涙だったのだろう…新体制でのチャレンジングなライブを成功した達成感か、有観客でのグループライブが最後だった同期・富田鈴花への想いか…個人的にはそう解釈していた。

 

だが今ならもう一つ、別の解釈を追加することができる。

 

“アイドルとしてあと何回、仲間と一緒のステージに立てるのだろうか“

 

彼女はおよそ1年前から卒業を意識していたという。

 

そして2025年8月4日、グループを卒業することを発表した。


本当に悲しい時、人は

【河田陽菜卒業のお知らせ】

 

帰宅し、夕食の準備に冷凍うどんをレンジにかけ、着替えている最中に携帯に届いたその知らせを見て、ソファーに端末を投げ捨てた。

 

「無理無理無理無理無理無理無理無理」

 

意味がわからなかった。鼓動がどんどん早くなっていく。頭痛もしてきた。意味なく部屋を歩き回るしかできなかった。

 

何かの間違いかもしれないと携帯を手に取ったが、事実は事実。何かの間違えだったということもない。

 

1人で抱えられる感情ではないと仲間に連絡をするが、この一報に驚いた人間が世間に増えただけだった。

 

動悸がおさまったところで、彼女の言葉で綴られたブログを開いたが、涙が溢れて読み進めるのに時間を費やした。

 

まさに茫然自失。家にいる時は常にテレビをつけて溜まった録画を少しでも多く消化するのがライフワークであるほどのテレビ好きが何もみる気になれない。

 

会うたびに日向坂の良さを伝えていた地元の友達からも心配の連絡がきた。

 

「お前の推し、卒業するんだな」

「さっきからずっと泣いてる」

 

LINEに送った言葉の通りずっと泣いていた。

 

1時間ほど泣き続けただろうか、夕飯が調理途中だったことを思い出した。加熱終了を知らせるアラームはいつしか自然に消えており、レンジに取り残されていたうどんはすっかり冷めていた。

 

再度加熱し、簡単に調理して口に運んでみたが、味が全くしなかった。これは私の料理の腕が悪いわけではない。

 

本当にショックな出来事があると食べ物の味がしなくなる、なんて例え話だと思っていたが、あの表現は事実に基づいたものだったのかと知る。

 

だが胃に物が入ったことで少し落ち着きを取り戻すことができた。

 

涙で失った水分を補給するべく誕生日にもらった日本酒を開ける。この日が月曜日だということを気にしている場合ではなかった。

 

ようやくテレビを観る気力も戻ってきたが、一番楽しみにしている「ひなあい」を観られる自信はまだない。

 

流石に涙も枯れたのか、嗚咽も収まり酒の味もするようになったその時、部屋の隅から視線を感じて目をやると、浴衣姿の陽菜ちゃんの写真と目が合った。

 

どれだけ泣いても涙が枯れることはないのだと、初めて知った。

 

それからのことは、あまり覚えていない。

 

一つだけ思い出せるのは「ひなあい」が富田鈴花の卒業回で、別の種類の涙を流したことだけ。

 

好きの気持ちは誰のため?

ちょうど3ヶ月前の卒業を知った瞬間のことを思い出してみましたが、酔い潰れるまでのことは意外と覚えているもので…あまりにもショックなことが起きると脳が忘れようと働くそうですが、私にはその機能はないようです。

 

そしてもうひとつわかったことは、こんなに泣くくらい彼女を大切に思う気持ちがあること。

 

偶然にも卒業発表と同じ日に「実は清水理央のことが一番好きになってる疑惑」をハッキリさせるための記事を書き終えていたタイミングだった。

 

それは紛れもない事実なのだが、河田陽菜を好きという気持ちに変わりはないのだと、当たり前のことにも気付かされた。

 

「推しと公言しているのに一度も目が合ったこともない、話したこともない」

 

そんなことはどうでもいい。
応援することの本分に立ち返る。
見返りを求めてやるもんじゃない。

 

 “日向坂46の河田陽菜”を応援できる時間。絶対に悔いは残さない。

 

心から「卒業おめでとう」を言えるようになるために。

 

あの日書いていた記事はコチラ

 

叶えたいことふたつ

とは言え一方的に見ているだけで卒業を迎えてしまうのはあまりにも寂しい。

 

残された時間に叶えたいことを叶えられたら、きっと心から卒業を祝えるだろうと思うので、自力ではどうにもならない部分もあるがここに記しておく。

 

1、    直接感謝を伝える。
2、    ライブ中に見つけてもらう。

 

果たして叶えることができたかは、彼女の卒業後に答え合わせをします。

 

1度は目を背けた現実と向き合うための心の整理にお付き合いいただきありがとうございました。

 

卒業セレモニーまであと15日。

 

限りある時間を、日々を、愛するために使います。

f:id:writer_A:20251104225446j:image