2021年3月8日、遂にこの日が来てしまった。
テレビ版から数えると実に20年以上も続くシリーズの最終作品として位置付けられた「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の公開日である。
初回放送当時からというワケではないが、この作品とは付き合いが長いのでその終劇は一切のネタバレもなく、自分の目で確かめるために午前休みを取り公開初日に観てきました。
エヴァの記事は恐らく溢れ返るだろうから敢えて私が記事にする必要もないと思うが、この作品を以って私とエヴァの長い付き合いも終わるとなると何も書かずにはいられない。
そう思わせる“私しか享受できない感動”がこの作品にはあった。
ということで「私とエヴァ」の話をこれから記していきます。
「あのシーンにはこういう意図が隠されていて…」みたいな難しいことは一切書きません!
しばらくはネタバレしないので読んでもらって大丈夫です!
(改めてネタバレの注意喚起はします!)
エヴァとの出会いは…
放送が始まった当時小学生だった私はとりあえずテレビでやってるアニメは全部見るようなタイプで、エヴァに関しても夕方にテレビ東京で見ていたのを覚えている。
だが内容は全く理解できておらず、たまーにあるグロテスクなシーンを見ては「まごころを君に」のアスカばりに「キモチワルイ」と思った程度で楽しみに見ているということはなかった。
が、時は流れて中学生になった頃、再放送でやっていた物を録画してみたらあっさりとハマってしまう。
部屋にテレビが無かったのでリビングで見ていたのだが、親のいる所でセクシーなシーンが流れると非常に恥ずかしかったのをよく覚えている。
アスカが登場し、作風が一気に明るくなったところからのめり込んでいき「男の戦」を見た直後には同級生に「ヤバいアニメあるから観ろ!」と薦めたものだ。
(当時はまだアニメが今ほど市民権を得てはいなかった)
なぜか中学校の図書室にエヴァの解説本があったのも熱を助長させる原因であったのは間違いない。
そしてテレビシリーズを見終えてすぐ、劇場版を今となっては懐かしいレンタルビデオで借りてきて夜中に観てしまったが最後、その難解さと過去に観たことのない強烈なビジュアルアプローチに完全に当てられてしまい、文字取りその日は眠れぬ夜を過ごした。
とまあこのように、エヴァンゲリオンという作品は中学生の私には刺激が強く、過去に観たどの映像作品よりも強烈なインパクトを残し、大きな影響を与えたのである。
そういえば、高校生の時、初めてのバイト代で買ったのもエヴァのDVD-BOXだった。
ちなみに、そのDVDは誰かに貸したまま帰ってきていない…笑
映画見るのに緊張します?
そして2007年、終劇とは言いつつも不完全燃焼感しかなかったエヴァが新たな作品としてスクリーンに帰ってきた。
格段に進化した技術とテレビという呪縛から解き放たれたことでなぞる様なストーリーであっても全く違う作品として生まれ変わった「序」、エンタメ性に振り切りってさらに存在感を強めた「破」、高まった期待感を裏切るもそれこそ“らしさ”であると言わざるを得ない「Q」。
初めから四部作であることが明言されていたし、さすがにこれ以上引き延ばすこともないだろうと思っていたので完結編となる4作目を見ないと死んでも死にきれない、というのが当時一緒に見入った友人との合言葉になっていた。
しかし、ご存じの通り完結編の公開は遅延に次ぐ遅延…そのニュースが流れるたびにもはや呆れていたのが事実である。
だが、いざ正式に公開日が決まったらどうだ。
まさかの月曜日公開…予期せぬネタバレを防ぐべく、有給を取得し、アクセス過多でうんともすんとも言わない映画館のサイトを何度もリロードし、朝早い時間のチケットを取っていた。
今度こそ本当にエヴァが終わる…期待と不安…こんなに緊張感を覚えながら映画館に脚を運んだのは初めてだった。
※ここから「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の内容にも触れますので、未見の方はご覧になってからお読みください。
先に行っておく。泣いた。
まず最初に書いておこう。
見ている際中、自然と涙が流れてしまうシーンがいくつかあった。
それが久しぶりにブログ記事を書く原動力となっているのは間違いないが、作品単体で見て面白かったか?と問われたら諸手を上げて賛美するほどの内容ではないと思う。
ではどうして泣いてしまったのか…それはやはりこの作品で本当にエヴァンゲリオンとお別れすることになるという寂しさだったのかもしれない。
自分の気持ちであるにも関わらず“かもしれない”としているのは、この文章を書いている今もまだ気持ちの整理がついていないからである。
ということで泣いてしまったシーンとその理由を書き連ねて、このモヤモヤを晴らしていきたいと思う。
まず初めに涙が流れたシーンだが、場面としてはもうクライマックスに当たるシンジがミサトにもう一度エヴァに乗る決意を伝えるシーン。
「Q」で理由も言わずシンジを拒絶し強く当たっていたミサトさんを見た直後というのもあったが、二人とも似た傷を心に抱えていることをわかり合い、14年の時を経て再び信頼関係を取り戻せたことが純粋に嬉しかった。
そして何より、起こった不都合な事実をすべて自分のせいだと思い、すべてに対して絶望さえしていたシンジがそれら一切を受け止め、自ら行動を起こした姿に男らしさを感じ、エヴァンゲリオンとは碇シンジの成長の物語なんだと悟った瞬間、自然と涙が流れたのだ。
度重なる遅延等でここまで至るのに本当に長い時間が掛ったが、時間を掛けたからこそシンジの見せた成長には重みが加わっていたのではないだろうか。
長い間この作品を追いかけたからこそ、エヴァのパイロット達と同じ年齢の時にこの作品に触れたからこそ、どこか同じ時を過ごしてきた友人のような感覚をシンジに対して持ったのかもしれない。
それに気付いて以降、続いていくシーンでは感情が揺さぶられっぱなしだった。
見出し⑤
続いて印象的だったのが長い間初号機の中に取り残され、髪の伸びた綾波とシンジが向かい合っていたシーン。
この二人の背景にはテレビシリーズや劇場場のサブタイトルが映し出されていたのだが、これはつまり作品の中での「さよなら、すべてのエヴァンゲリオン。」だけでなく、我々の生きる現実上での決別をも意味していると悟り、ずいぶんと長い時間振り回されたが、本当に最後なんだと悟り寂しさで涙が出た。
マティスという特徴的な極太明朝体で綴られたサブタイトルはどれも印象的なもので、タイトルを見ただけでどんな話だったかすぐに思い出すことができる。
そんな何十年、何話にも渡る積み重ねがあの一瞬に凝縮されていてノスタルジーを刺激されたのだろう。
先述したように、気付けば人生の半分以上この作品と付き合ってきていて、そんな作品は他にないからこそ、いよいよ終わってしまうとなれば特別な感情を持っても仕方ない。
「好きな作品はなんですか?」と聞かれて、真っ先にエヴァを頭に浮かべることは恐らくないが、それはあえて家族に対しての好意を口にしないのと同じようなことで、気付かぬうちに当たり前にある存在にまでエヴァは至っていたのだ。
これは勝手な話だが、この「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は“私とエヴァの別れ”を書いている作品なのだと感じてしまい、改めてエヴァという作品が愛おしくてたまらない。
ここまで書いておいて今更だが、この一文が書きたくて記事を作ったまである。
さよなら、エヴァンゲリオン。
ということで、まだまだ触れたいシーンはあるが詳細な話と難しい話をする記事は今後いくらでも溢れてくると思うので、そういった需要のありそうな内容に関しては敢えて記述しないでおきます。
「シンジとゲンドウの親子のやり取り」「あの絶望的なエンディングから遂に1歩踏み出したアスカ」「いつだってシンジを守り続けてきたユイ」とか色々あるんですけどね…一番書きたかったことが掛けたので満足しました笑
とにかくポスターに書かれた「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」という言葉に一切の偽りなく、これまでの全てを終わらせたこの作品は記憶にずっと残り続けるでしょう。
そしてエヴァンゲリオンは完全に終わってしまったので、これまでのように気に掛けることもなくなると思います。
でも、この作品が与えた影響はとっくに私の血肉となっているし、時々思い出して見直してみては「やっぱりエヴァって超面白れぇな」と感動させてくれることでしょう。
ひとつのケジメとして、文章に残せて良かった。
ありがとう。そしてさよなら、エヴァンゲリオン。
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